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もんつきをきるのき
紋付を着るの記
吉川 英治
「東京新聞」1960(昭和35)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,454 字 · 5 页
『おいく(母の名)こんな物、新堀端から捨ててしまえ』そう言った父は、母が涙ぐんだのを見て『ばか』と、自分で引ったくるように呉服たとうをつかんで縁がわから狭い小庭へ抛り投げ、そしてふとんの中に横たわると、心臓喘息でもあったので、肩でぜいぜいと息をしていた。
これで正月三ヵ日小さい弟妹までがみなしゅんとなって送ってしまった。
以上の一事だけでなく、私という若気な子は、しじゅう父へは叛骨ばかりみせて終った。朝から母を前にすえて、二時間の余もムリなお談義を聞かせ、ただ泣くばかりな母を責め折檻をしている父が憎く、うしろへ回っていきなりバケツ一杯の寒中の水を父のあたまから被せて逃げ出してしまったことなどもあった。その父は、男ざかりの四十で倒れ、亡くなる五十五歳までついに病床のままで逝った人だが、亡くなるつい一週間ほど前には『いったい英は、どうやって将来食べてゆけるだろうな。くだらん本ばかり読んでいて……』と、つくづく母にもらしていたそうである。やはり私の将来が大きな気がかりであったらしい。その私が今は父の没年をはるか超えた六十八歳に達している。
そしてまだ今日のおもわぬ日に出会っている。