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むらさきのびん

紫の壜

豊島 与志雄

「明日」1948(昭和23)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,802 字 · 24 页

青空文庫

それでも、空襲の時、彼女は危険を冒して老人を助けようとした。煙と焔にまかれて倒れてる老人を救おうとして、首から肩へ大火傷をした。――そういうことを、若主人の方はわきから見ていた。素知らぬ風でと言えるほど冷淡に、わきから見ていた……。

告白、ともつかず、独白、ともつかない、彼女の断片的な露骨な言葉は、奇妙な調子を帯びていた。酔余の放言のようでもあり、腹を立ててるようでもあった。それが急に打ち沈んで、しんみりと彼女は言った。

「あの時、結婚のことを一言、なぜ言って下さらなかったの。わたし、どんなにそれを待ってたか……。でも、いくら待っても、だめだった。……おかしいでしょう。」

ふいに彼女は笑った。

その笑いが、私を元気づけた。

「そんなら、なぜ、君の方から言わなかったの。」

「言えると思って?」

「言えるさ。」

「愛のことじゃない……結婚のことよ。わたし貧乏だったわ。」

「貧乏でも……。」

言いかけて、私は口を噤んだ。なにか寒々としたものに突き当ったのだ。

「こんな話、もうやめましょう。わたし、今日は酔いたいのよ。」

私には、へんに酔えないものがあった。そしてその方へ、気持ちが落ちこんでいった。