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しゅちんのズボン

繻珍のズボン

宮本 百合子

「政界往来」1940(昭和15)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,932 字 · 8 页

青空文庫

千賀子と云う祖母がよく、これでお前、私だって祖父さまのお手伝をして英語を昔は知っていたもんだよ。鵞鳥の太い羽根の先を削ってペンをこしらってね。礬水びきの美濃紙へ辞書をすっかり写したものさ、と云っていたが、それもこの時代の夫婦の一日の光景であったであろう。何かの儀式のとき、どうしても洋服にズボンがいるということになった。仕様がないから、俄に私の繻珍の丸帯をほどいてズボンにしておきせしたよ、こんなこともある。如何に律義な祖父でも自分一人繻珍のズボンでは困ったろう。仲間がきっとあったにちがいない。細君の丸帯から出来た繻珍ズボンをはいて、謹厳な面持で錦絵によくある房附きの赤天鵞絨ばりの椅子にでもかけていただろう祖父の恰好を想像すると、明治とともに心から微笑まれるものがある。

祖父は自分としては学者として一貫して生きようとしたようだが、官吏としていろんな役がついたことは家庭の空気をいつしか変え、祖母にしろ昔辞書を手写した時代のままの気分ではなかったらしい。千賀というひとの性質は祖父と反対の現実家で、美しい、烈しいところのある顔にもそれはつよくあらわれていた。