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ろうば
老婆
小川 未明
「新天地」1908(明治41)年11月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,436 字 · 11 页
遂に思い出せなく、何気のせいだといって寝てしまう。下では何時頃婆さんが眠るものか、……それとも夜中ああやって、やはり坐り通して明すのかも知れないが、明る朝起きて下へ降りて見る頃には、きっといつもの様子で、同じ方角に向いて坐っているのである。しかし私は決して真夜中には下へ降りなかった――たとえ、人の好そうな婆さんでも何だか空怖しい気がして下る気になれない。婆さんの頭は白髪である。それに平常は汚れた手拭を被って、紺ぽい手織縞の綿入を二枚重ねていた。
私が、間を借りたのは秋の末で冬に近かった。もう霙が降る季節であった。けれど婆さんの坐っている傍の古ぼけた火鉢にはたえず火種のあったことがない。絶対的に火を起さないものと思われた。私は夜帰って来て火を起すのも大儀だから直ぐ毛布にくるまって寝てしまう。朝は早く飛び出して、工場へ行き石炭の火の赤く燃え上ったので温まる――だから、此家に限って火の気というものが一年たったってありやしない。とても此様家には長くいられない。早く逃げ出そう逃げ出そうと思っていて、間代の安いのと、婆さんが決して悪者ではないと思ったので急がずに、もはや来てから二週間ばかりも過ぎた。