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はなさかぬリラ
花咲かぬリラ
山本 周五郎
「新青年」公友社、1946(昭和21)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,378 字 · 36 页
「……わたくし、家へ寄ってまいらなければなりません」富美子はしずかに被衣を折りながら、しかし今はもう心のきまった眼で来太を見上げた、「……あのリラの木を持ってまいりたいと存じますから」
「ほう、あれは長瀞へ持って来てあったの」
「花の咲かないということが可哀そうでしたから」
「なにリラは寒い所が合うんだ、北海道へいったらきっと咲かせてみせるよ」
二十分後である、地味なワンピースに着換えた富美子の腕を取って、来太は大股に修道院の門を出ていった。坂道を下りかかったとき、ふとまた左腕を伸ばして手頸を見ようとしたがいきなりえいと叫んでその腕を振った。
「ええ癪だ、腕時計を盗られたのは惜しくはないが一週間もたつのにまだこの癖がぬけない、おれの頭はよっぽど単純に出来てるんだな」
富美子の明るい笑い声が遠のいてゆく足音とともに松林の中へ隠れていった。……ようやく中天に昇った早春の日を浴びて、落葉松の芽ぶきだした枝から枝へ鶯の鳴きわたる声が聞こえた。