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はないくとせ

花幾年

折口 信夫

「旅 第二十一巻第四号」1947(昭和22)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,442 字 · 5 页

青空文庫

それからやがて一月、先発隊になった心持ちで、勝手明神前の古なじみの宿で、先生のお出でを前日から待って居た。変り者だという評判の亭主も「この座敷は、何の宮様のおとまり下されたのだが、先生のお気にめすだろうか」などと気にしていた。

ところが当日になって、どうしても東京をお離れになることの出来ぬ用事が出来て、今度は断念するという電報がとどいた。私よりもはりあいの抜けたような宿のあるじの顔が、今に印象している。私はその日午後、奥の千本まで登って行った。先生の為に、山の力者になったつもりで。奥はまだ莟が堅かった。金峰山神社・蹴抜けの塔、山道の青草の上を行く人がない。西行庵は、前がつまっているので、もうほのぐらくなって居た。行きづまった山合いへ、一町ほど急な降りになっている。その底を流れる細谷川のかすかな水音の聞える黄昏であった。向う側の山が頭の上まで迫って来て、その頃の植林し残した薄緑色の頂に鳥の声が聞える。

その翌年も、大抵なら都合がつくだろうと言われた先生の話で、また桜咲く山の宿でお待ち申して居た。ところがまたいけなかった。近年かたづかれた末の娘御の産み月が近いので、どうしても小人数の家内を手伝ってやらねばならぬからとの、おことわりの手紙が今度も桜花壇の亭主を失望させた。