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かしょく
花燭
1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,501 字 · 38 页
あたりまえの鉄縁の眼鏡を掛けている。甚だ、非印象的である。それ故、訪問客たちは、お互い談論にふけり男爵の存在を忘れていることが多いのである。談じて、笑って、疲れて、それからふと隅の男爵に気附いて、おや、君はまだそこにいたのか、などと言い大あくびしながら、
「煙草がなくなっちゃったな。」
「ああ、」と男爵は微笑して立ちあがり、「僕もね、さっきから煙草吸いたくて。」嘘である。男爵は、煙草を吸わないひとであった。「買って来よう。」気軽に出かける。
男爵というのは、謂わば綽名である。北国の地主のせがれに過ぎない。この男は、その学生時代、二、三の目立った事業を為した。恋愛と、酒と、それから或る種の政治運動。牢屋にいれられたこともあった。自殺を三度も企て、そうして三度とも失敗している。多人数の大家族の間に育った子供にありがちな、自分ひとりを余計者と思い込み、もっぱら自分を軽んじて、甲斐ない命の捨てどころを大あわてにあわてて捜しまわっているというような傾向が、この男爵と呼ばれている男の身の上にも、見受けられるのである。なんでもいい、一刻も早く、人柱にしてもらって、この世からおさらばさせていただき、そうして、できれば、そのことに依って二、三の人のためになりたかった。