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たでくうむし

蓼喰う虫

谷崎 潤一郎

「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页

青空文庫

あまり眠りが足りな過ぎるのも不安になって、たまには睡眠剤の力で昼寝をしようとすることもあるけれども、却って頭が冴えてしまっておちおちと睡れない。一週に一度大阪の事務所へ顔を出す日に、夫がわざと気を利かして子供と一緒に出かけてくれるようなことは、月に二三度あるかないかである。とにかく寝ても寝られないでも、こうして一人寝室を占領していられるのは、近頃珍しいのである。

犬の啼きごえはまだ聞えている。「リンディー」「ピオニー」と、弘は相変らず呼んでいる。その騒々しいのが、いかにも春らしくのどかにひびいて、この五六日好晴をつづけている空の色が想いやられた。いずれ今日のうちには高夏を相手に話さなければならないのだが、それさえ今の彼女には雛人形の程度以上には気苦労の種にならなかった。心配をすれば際限がないから、すべてのことを雛人形を扱うように扱って、いつでも今日のお天気のようにうららかな気分でありたい。彼女はふと、リンディーと云うのはどんな犬かしらと、子供のような好奇心を感じた。そしてようよう、その好奇心に免じて起きようと云う気になった。

「お早う!」

と、肘掛窓の雨戸を一枚だけ開けて、彼女は子供に負けない程の声で叫んだ。