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たでくうむし

蓼喰う虫

谷崎 潤一郎

「大阪毎日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月17日<br>「東京日日新聞 夕刊」1928(昭和3)年12月3日~1929(昭和4)6月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 110,066 字 · 216 页

青空文庫

殊に今日のように、うしろから襦袢を着せてくれたり、襟を直してくれたりされると、自分たち夫婦と云うものの随分不思議な矛盾した関係が、はっきり感ぜられるのであった。誰がこう云う場面を見たら、自分たちを夫婦でないと思うであろう。現に家にいる小間使にしても下女にしても、夢にも疑ってはいないであろう。彼自身ですら、こうして下着や足袋の面倒までも見て貰っている自分を顧みれば、これでどうして夫婦でないのかと云うような気がする。何も閨房の語らいばかりが夫婦を成り立たせているのではない。一夜妻ならば要は過去に多くの女を知っている。が、こういう細かい身の周りの世話や心づくしの間にこそ夫婦らしさが存するのではないか。これが夫婦の本来の姿ではないのか。そうしてみれば、彼は彼女に不足を感ずる何ものもないのである。………

両手を腰の上へ廻してつづれの帯を結びながら、彼はしゃがんでいる妻の襟足を見た。妻の膝の上には彼が好んで着るところの黒八丈の無双の羽織がひろがっていた。妻はその羽織へ刀の下げ緒の模様に染めた平打ちの紐を着けようとして、毛ピンの脚を乳へ通しているのである。彼女の白いてのひらは、それが握っている細い毛ピンを一とすじの黒さにくっきりと際立たせていた。