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そばのはなのころ

蕎麦の花の頃

李 孝石

「文学案内」1937(昭和12)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,494 字 · 16 页

青空文庫

――それが違うだよ。何もかもはっきり言ってくれねえから判んねえが、蓬坪とだけは聞いている。

――蓬坪。で、その生みのてておやは、何ていう苗字だよ。

――不覚にも、聞いておらねえ。

そ、そうか、とそそかしく呟きながら眼をしょぼしょぼさせているうち、許生員は粗忽にも足を滑らしてしまった。前につんのめったと思う間に、体ごとさらわれてしまった。くだけ無駄で、童伊がいけねえっと近よってきた時には、早くも数間流されていた。着物ごとぬれると、犬ころよりもみじめだった。童伊は水の中で易々と大人をおぶることが出来た。びしょ濡れとはいえ、痩せぎすの体は背中に軽かった。

――こねえにまでして貰ってすまねえ。儂今日はどうかしてるだよ。

――なに、しっかりなせえ。大丈夫だい。

――で、おふくろというなあ、父を探してはおらねえかよ、

――生涯一度会いたいとは云ってるだが。

――いま何処にいる。

――義父とももう別れて、堤川にいるんだが、秋までに蓬坪へ連れてきてやろうと思うんだ。なに、まめに働けば何とかやってける。

――殊勝な心掛けだ。秋までにね。

童伊のたのもしい背中を、骨にしみて温く感じた。