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あざみ

薊

山本 周五郎

「小説新潮」新潮社、1959(昭和34)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,800 字 · 32 页

青空文庫

銕太郎は黙って「沼」のほうを見ていた。

「わたくし妻としてできるだけのことはしているつもりです」とゆきをが云った、「これ以上どうしていいのかわたくしにはわかりません、ねえ、どうしたらお気に召すのか、わたくしに教えて下さいまし」

銕太郎は妻のほうを見た。ゆきをは化粧を終ろうとしながら、鏡の中から彼の眼を見まもっていた。

「わからない、おれにもわからない」銕太郎は呻くように云った、「おまえは慥かに、妻の役を立派にはたしている、誰の眼にもおれたちは平安な生活をしているようにみえるだろう、だがおれにはおまえの本心をつかむことができない、この腕でおまえを抱き、肌と肌を触れあっているときでも、本当のおまえはべつのところにいる、抱きよせるとたんに、おまえの躯の中から本当のおまえがすりぬけてゆくのを感じるんだ」

「あなたがそうお感じになるのを、わたくしがどうしたらいいのでしょうか」とゆきをは鏡の中で静かに微笑した、「それにまた、――そういうことがそれほど大事なことなのでしょうか」

そうだ、と銕太郎は心の中で頷いた。一般的にはとるに足らぬことだろう、こういうことが感情に障らない者や、うまくいっている夫婦のあいだでは、こんなことは笑い話にもならないかもしれない。