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とうじゅうろうのこい
藤十郎の恋・恩讐の彼方に
菊池 寛
菊池寛『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』。同一底本的分册已合并为一书。收入:藤十郎の恋、ある恋の話、入れ札。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 37,146 字 · 74 页
彼は、今宵の酒宴が、始まって以来、何気ない風に酒盃を重ねてはいたものの、心の裡には、可なり烈しい芸術的な苦悶が、渦巻いているのであった。
彼が、近松門左衛門に、急飛脚を飛ばして、割なく頼んだことは、即座に叶えられたのであった。今までの傾城買とは、裏と表のように、打ち変った狂言として、門左衛門が藤十郎に書与えた狂言は、浮ついた陽気なたわいもない傾城買の濡事とは違うて、命を賭しての色事であった。打ち沈んだ陰気な、懸命な命を捨ててする濡事であった。芸題は『大経師昔暦』と云って、京の人々の、記憶にはまだ新しい室町通の大経師の女房おさんが、手代茂右衛門と不義をして、粟田口に刑死するまでの、呪われた命懸けの恋の狂言であった。
藤十郎の芸に取って、其処に新しい世界が開かれた。がそれと同時に、前代未聞の狂言に対する不安と焦慮とは、自信の強い彼の心にも萌さない訳には行かなかった。
五
藤十郎の心に、そうした屈託があろうとは、夢にも気付かない若太夫は、芝居国の国王たる藤十郎の機嫌を、如何にもして取結ぼうと思ったらしく、
「この狂言に比べましては、七三郎殿の『浅間ヶ嶽』