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とうじゅうろうのこい
藤十郎の恋・恩讐の彼方に
菊池 寛
菊池寛『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』。同一底本的分册已合并为一书。收入:藤十郎の恋、ある恋の話、入れ札。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 37,146 字 · 74 页
山上から見下すと、街道に添うた村々には、青い桑畑が、朝靄の裡に、何処までも続いていた。
関東縞の袷に、鮫鞘の長脇差を佩して、脚絆草鞋で、厳重な足ごしらえをした忠次は、菅のふき下しの笠を冠って、先頭に立って、威勢よく歩いていた。小鬢の所に、傷痕のある浅黒い顔が、一月に近い辛苦で、少し窶れが見えたため、一層凄味を見せていた。乾児も、大抵同じような風体をしていた。が、忠次の外は、誰も菅笠を冠ってはいなかった。中には、片袖の半分断れかけている者や、脚絆の一方ない者や、白っぽい縞の着物に、所々血を滲ませているものなども居た。
街道を避けながら、しかも街道を見失わないように、彼等は山から山へと辿った。大戸の関から、二里ばかりも来たと思う頃、雑木の茂った小高い山の中腹に出ていた。ふと振り顧ると、今まで見えなかった赤城が、山と山の間に、ほのかに浮び出ていた。
「赤城山も見収めだな。おい、此処いらで一服しようか」
そう云いながら、忠次は足下に大きい切り株を見付けて、どっかりと、腰を降した。彼の眼は、暫らくの間、四十年見なれた懐しい山の姿に囚われていた。赤城山が利根川の谿谷へと、緩い勾配を作っている一帯の高原には、彼の故郷の国定村も、彼が売出しの当時、島村伊三郎を斬った境の町も、彼が一月前に代官を斬った岩鼻の町もあった。