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とうそんのこせい

藤村の個性

和辻 哲郎

「新潮」1951(昭和26)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,764 字 · 14 页

青空文庫

それは、この人物がこの場合、言葉に現わしきれない、どういっていいかわからない気持ちを抱きながら、何とかいわずにいられなくて、試みにこうでも言い現わしたらどうであろうかという態度で、そう言った、ということなのであろう。そういう気持ちが、「……と言って見せた」という言い回しで十分現わされているかどうかは、別問題である。が、とにかくそういうセンスが働いてあの文体ができているということは、認めなくてはなるまい。

藤村自身も『言葉の術』のなかで言っている。「言葉というものに重きを置けば置くほど、私は言葉の力なさ、不自由さを感ずる。自分等の思うことがいくらも言葉で書きあらわせるものでないと感ずる。そこで私には、物が言い切れない」。岩野泡鳴のように、あけ放しに物の言える人から見ると、藤村の書いたものは思わせぶりに感じられたかもしれぬが、物の言い切れない藤村から見ると、泡鳴のように物を言い切ってしまう人は、話せないように感じられる、というのである。つまり藤村は、自分の文体が物の言い切れない文体、「……と言って見せる」文体であることを認めているのである。

幼少のころから他人の気を兼ねて育ったということは、それほどまでに深く藤村のなかに食い入っていると思う。