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あしかり
蘆刈
谷崎 潤一郎
「改造」改造社、1932(昭和7)年11月号、12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,413 字 · 78 页
なんという酒かわからないけれども罎詰めの正宗を飲んだあとでは程よく木香の廻っているまったりした冷酒の味が俄かに口の中をすがすがしくさせてくれるのであったが、さあ、もう一献おすごしなされませ、さあもう一献と矢つぎばやに三杯までかさねさせてその三杯目の酒をわたしが飲んでいるあいだにやおら「小督」をうたい出した。すこし酔いすぎているせいかいきぎれがしてくるしそうにきこえる。それに美声というほどでもなく音量も乏しいのであるが、さびをふくんだ、熟練を積んだこえではある。とにかく謡いぶりが落ちついているところをみると相当に年数をかけているのではあろう。しかしそんなことよりも見も知らぬ人のまえでこんな工合に気やすくうたい出してうたうと直ぐにその謡っているものの世界へ己れを没入させてしまい何の雑念にも煩わされないといった風な飄逸な心境がきいているうちに自然とこちらへのりうつるので、わざは上達しないでもこういう心境をやしなうことが出来るものならば遊芸をならうということも徒爾ではないように思われてくる。いや、結構でございました、おかげさまでいい