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へび

蛇

森 鴎外

「中央公論 第二十六年第一号」1911(明治44)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,073 字 · 23 页

青空文庫

何かわたくしの生活の基礎になるような思想があって、それを貫くためには、いかなるものをも犠牲にするという気になられたならば、これまでにどうにか解決が附いたのでしょう。世間の毀誉褒貶は顧みない。人が死んでも好い。自分が死んでも好いと云う事なら、解決が附いたのでしょう。それが無いので、今にぐずぐずしているのです。そして母はとうとう亡くなってしまう。妻もあんな風に気が狂ってしまう。わたくしもどうなるか知れません。」

主人の血走った目は、じいっと己の顔に注がれている。己はぞっとした。清吉爺いさんだけは腕組みをして俯向いている。十一時の時計が鳴った。

「そんなら、さっきまで声のしていたのが奥さんですね」と、己は問うた。

「そうです。いつでも十一時前まではあの通りです。幻覚か何かがある様子であんな工合にしゃべり続けていて、草臥れ切るまでは寐ないのです。」

「なるほど。清吉さんの話では、奥さんが嘉言善行というような話が嫌いだと云ったのが、内輪の面白くなくなる初めだということでしたが、一体どういうわけだったのですか。」

「実に馬鹿げ切っているのです。妻の考では人間に真の善人というものは無い。