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ほたる
蛍
織田 作之助
「文芸春秋」1944(昭和19)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,875 字 · 21 页
けれども、寺田屋には、御寮はん、笑うてはる場合やおへんどっせと口軽なおとみという女中もいた。お定は先妻の子の伊助がお人よしのぼんやりなのを倖い、寺田屋の家督は自身腹を痛めた椙に入聟とってつがせたいらしい。ところが親戚の者はさすがに反対で、伊助がぼんやりなればしっかり者の嫁をあてがえばよいと、お定に頭痛起させてまでむりやり登勢を迎えたのだ。してみれば登勢は邪魔者だ……。登勢は自分を憐れむまえにまず夫の伊助を憐れんだ。
伊助は襷こそ掛けなかったが、明けても暮れてもコトコト動きまわった。しかし、客の世話や帳場の用事で動くのではなく、ただ眼に触れるものを、道具、畳、蒲団、襖、柱、廊下、その他片っ端から汚い汚いと言いながら、歯がゆいくらい几帳面に拭いたり掃いたり磨いたりして一日が暮れるのである。
目に見えるほどの塵一本見のがさず、坐っている客を追いたてて坐蒲団をパタパタはたいたり、そこらじゅう拭きまわったり、ただの綺麗好きとは見えなかった。祝言の席の仕草も想い合わされて、登勢はふと眼を掩いたかったが、しかしまた、そんな狂気じみた神経もあるいは先祖からうけついだ船宿をしみ一つつけずにいつまでも綺麗に守って行きたいという、後生大事の小心から知らず知らず来た業かもしれないと思えば、ひとしお哀れさが増した。