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ほたる

蛍

織田 作之助

「文芸春秋」1944(昭和19)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,875 字 · 21 页

青空文庫

それまで三十石船といえば一艘二十八人の乗合で船頭は六人、半日半夜で大阪の八丁堀へ着いていたのだが、登勢が帰ってからの寺田屋の船は八丁堀の堺屋と組合うて船頭八人の八挺艪で、どこの船よりも半刻速かった。自然寺田屋は繁昌したが、それだけに登勢の身体はいっそう忙しくなった。

おまけに中風の姑の世話だ。登勢、尿やってんか。へえ。背中さすってんか。へえ。お茶のましてんか。よろしおす。半刻ごとにお定の枕元へ呼びつけられた。伊助の神経ではそんな世話は思いも寄らず、椙も尿の世話ときいては逃げるし、奉公人もいやな顔を見せたので、自然気にいらぬ登勢に抱かれねばお定は小用も催せなかった。

登勢はいやな顔一つ見せなかったから、痒いところへ届かせるその手の左利きをお定はふとあわれみそうなものだのに、やはり三角の眼を光らせて、鈍臭い、右の手使いなはれ。そして夜中用事がなくても呼び起すので、登勢は帯を解く間もなく、いつか眼のふちは黝み、古綿を千切って捨てたようにクタクタになった。そして、もう誰が見ても、祝言の夜、あ、螢がと叫んだあの無邪気な登勢ではなかったから、これでは御隠居も追いだせまいと人々は沙汰したが、けれどもお定はそんな登勢がかえって癪にさわるらしく、病気のため嫁の悪口いいふらしに歩けぬのが残念だと呟いていた。