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ちょうのえ
蝶の絵
久生 十蘭
「週刊朝日別冊 記録文学特集号」1949(昭和24)年9月10日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,644 字 · 49 页
それにもかかわらず、どうしても死ぬのは嫌だったので、いぜんとして醜業をつづけて行くほかはなかった」
終戦になり、津村はスマトラでゲリラ抑圧の虐殺事件を一役買っていたうえ、比島の残虐事件のオペレーターだったことまで摘発され、バタヴィアに送られて絞首刑になったが、山川のほうは、終戦直前、石原産業の高級社員の身分を取得して、比島地区から蘭領地区のスマトラに転出し、秘書という触れこみでリーナを連れ、二人でメダンの南貿クラブに落着いたばかりのところだったので、経歴を伏せて、戦犯の追及からのがれることができた。マニラの比島戦犯裁判の過程にはいくどとなく山川の名が出たが、山川は比島の知識階級に親比島派の温和な日本人の一人として印象され、どの事件の現場にも居あわせなかったと申立てる証人が大勢いたので、とうとう問題にはならずにすんだ。
山川は終戦の十一月、一番早いリバァティで復員し、二十三年の春まで、金沢の白雲荘ホテルで悠々自適しながら、比島裁判の進行を注視していたが、それも五月で結了となったので、目黒の自宅へ帰った。白雲荘に滞在中、山川の家とはたえず交通があったので、姉の常子が、伊沢の細君に、「あら、といって、柱にすがりついたきり動けなかった」