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こわく
蠱惑
豊島 与志雄
「新思潮」1914(大正3)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,765 字 · 28 页
只私の前に在る紅茶と菓子とをじっと見たのだ。それから彼は例の四角い卓子について、紅茶と菓子とを女中に云いつけた。
私はそれが気になって仕様がなかった。でもじっと堪えてやった。然し次第に不気味な恐怖が私を捕えてゆく。私は始終彼から何かを盗まれてることに気が付いた。それで思い切ってじっと彼の横顔を見つめてやった。
その時彼はじっと室の隅を見つめて口を堅く閉じていた。そして口のまわりの頬の筋肉を引きしめたり弛めたりしている。丁度蛙の顎のようだ。で私はじっとその筋肉の運動を見ていたら、妙な擽ったいような戦慄が伝った。そして私の頬の筋肉がぶるぶると震えた。我知らず掌でその頬をなでてみたら滑らかに冷りとした。私は覚えず其処に飛び上った。
その時彼の処から私の処へすーっと帰って来たものがある。彼奴が何かを盗んで居たのだ。
畜生! と私は口の中で呟いてやった。
油断してはいけない! こういう思いがその時から私の心のうちに萠した。
――私の心に映り、私の意識に入って来るものは、皆深い眼に見えない世界の象徴なんだ。やがて私の心はその世界を抱擁し、温い息吹で暖めてやるのだ。