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しけんかん
試験管
寺田 寅彦
「改造」1933(昭和8)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,595 字 · 20 页
という呪文を唱えて頭上に揺曳する蚊柱を呼びおろしたものである。「おらのおとと」はなんのことかわからないが、この「む――ん」という声がたぶん蚊の羽根にでも共鳴して、それが、蚊にとってはすておき難い挑戦あるいは誘惑としての刺激を与えるせいであろうが、それにしても、その音源のどの方面にあるかということを一瞬間に識別するのはどういう官能に因るものか、考えてみると驚嘆すべき能力である。自分などは、往来でけたたましい自動車の警笛を聞いても存外それが右だか左だかということさえわからないことがあるのに、あの小さな蚊は即座に音源の所在を精確に探知し、そうして即座に方向舵をあやつってねらいたがわずまっしぐらにそのほうへ飛来するのである。
敵の飛行機の音を聞きつけてその方向を測知するという目的のために、文明国の陸軍では、途方もなく大きな、千手観音の手のようなまたゴーゴンの頭のようなラッパをもった聴音器を作っている。しかし蚊のほうは簡単である。生まれた時からだれにも教わらずに役立つ最も鋭敏な優秀な器械を備えているのである。左右の羽根の刺激の不平均のために、無意識に自動的に羽根の動きの不平均が起こって、結局左右が平均するまでからだを回転させ、そうして刺激を増大するような方向に進行させるという自動調整器を持参しているのであろうか。