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しけんかん
試験管
寺田 寅彦
「改造」1933(昭和8)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,595 字 · 20 页
ところが、どうしたわけか、その教場の中に例のいやなゴムの葉の強烈なにおいがいっぱいにみなぎっていて、なんとも言われない不快な心持ちが鼻から脳髄へ直接に突き抜けるような気がしていた。それだのにおおぜいの他の生徒も監督の先生もみんな平気な顔をしてそんなにおいなど夢にも気がつかないでいるように思われた。それがまた妙に心細くひどくたよりなく思われた。
たとえば、下肥えのにおいやコールタールのにおいには、われわれに親しい人間生活の幻影がつきまとっている。それに付帯した親しみもありなつかしみもありうるであろう。しかし異国的なゴムの葉のにおいばかりは、少なくも当時の自分の連想の世界を超越した不思議な魔界の悪臭であった。この悪臭によって自分はこの現世から突きはなされてただ一人未知の不安な世界に追いやられるような心細さを感ずるのであった。もちろんその当時そんな自覚などあろうはずはなかったが、しかし名状のできないこの臭気に堪えかねて、とうとう脳貧血を起こしたのであった。
もっとも幼時の自分は常に病弱で神経過敏で、たとえば群集に交じって芝居など見ていても、よく吐きけを催したくらいであるから、その時もやはり試験の刺激の圧迫ですでに脳貧血を起こしかけていたために、少しの異臭が病的に異常に強烈な反応を促進したかもしれない。