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しけんかん
試験管
寺田 寅彦
「改造」1933(昭和8)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,595 字 · 20 页
それがなんとなくその時の自分には愉快であった。胸につかえていたものが一時に下がるような気がした。昼間見た光景がまさしく主客顛倒したのである。しかしこの昼と夜との二つの光景を見る順序が逆であったら、心持ちはまたおのずからちがったことであろう。批判はやはり「履歴の函数」である。
こんなことを思い出しながら俳優I氏の鼻や耳をながめていた。そうしてたとえば日本の学者や芸術家が一般にこのI氏の半分ののんびりした心持ちと日本人としての誇りとをもつ事ができたらどんなにいいだろうというような気がした。もちろん気がしただけである。
蒸すように暑い部屋の天井には電扇がゆるやかに眠そうに回っていた。窓越しに見えるエスカレーターには、下から下からといろいろの人形がせり上がっては天井のほうに消えて行った。ところてんを突くように人の行列が押し送られて行った。
気のついた時はもうI氏はいなかった。
政党大臣や大学教授や官展無審査員ならば、ところてんのようにお代わりはいつでもできる。しかしI氏くらいの一流の俳優はそう容易には補充できない。
そんな事を考えながら、自分もエスカレーターに乗ってM百貨店の出口に突き出されたのであった。