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ごろのろんり

語呂の論理

中谷 宇吉郎

「中央公論」1938(昭和13)年12月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,587 字 · 14 页

青空文庫

もしそれが議論になるとすれば、それは語呂の論理の一つの例となるかどうかという点が問題になるだけであろう。

この場合、問題になるのは、或る大学の或る教授が、一つの研究をしているとして、その研究が国家に枢要な研究であるか否かの判断を誰がするかという点なのである。従来はそれを大学の教授の判断に任せておいたが、とかく専門学者にはそういう判断力が少いから、例えば監督官庁の適当な地位の人がその判断をすることに改めようというような議論だったら、それは議論になり得る性質の話である。「大学は国家の機関だから、国家に枢要な研究をすべきだ」というのでは、秋晴れの日に今日は良いお天気だというようなものである。

田舎廻りの政治家などが、いくら語呂の論理をふり廻しても、その害は多寡がしれている。しかし責任の地位にある人が、こういう語呂の論理に耳を傾けたら、その影響は恐ろしい。正統に順を追って、その間思考の勝手な飛躍がないかどうかを確めながら考えを纏めて行く癖は、日本人には昔から少かったのではないかという気がする。それが我国で科学が発達しなかった一つの理由であり、また「金中猶虫あり、雪中虫無んや」