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ついおくのとうや

追憶の冬夜

寺田 寅彦

「短歌研究 第三巻第十二号」1934(昭和9)年12月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,522 字 · 9 页

青空文庫

自分だけ早くから寝てもなかなか寝付かれないので、もう帰るかもう帰るかと心待ちにしていると自然と表通りを去来する人力車の音が気になる。凍結した霜夜の街を駆け行く人力車の車輪の音――またゴム輪のはまっていなかった車輪が凍てた夜の土と砂利を噛む音は昭和の今日ではもうめったに聞くことの出来ないものになってしまった。

だんだん近付いて来る車の音が宿の前で止まるかと思っているとただそのまま行過ぎて消えてしまう。今度こそと思ったのもまた行過ぎる。そんなことを繰返し繰返し十二時過ぎても眠られないで待っている。やっと車の音が玄関へ飛び込んで来ると思うと番頭や女中の出迎える物音がしてそうして急に世の中が賑やかに明るくなった。「ほう、まだ起きていたのか」と云ってびっくりしたような顔をして見せるのであったが、その顔に何となしに寄る年の疲れが見えて鬚の毛の白くなったのが眼につくのであった。

凍てた霜夜の土で想い出すことがもう一つある。子供の頃、寒月の冴えた夜などに友達の家から帰って来る途中で川沿いの道の真中をすかして見ると土の表面にちょうど飛石を並べたようにかすかに白っぽい色をした斑点が規則正しく一列に並んでいる。