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ゆけるマクシム・ゴーリキイ

逝けるマクシム・ゴーリキイ

宮本 百合子

「婦人公論」1936(昭和11)年8月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,396 字 · 17 页

青空文庫

ゴーリキイはこの旅行に正式に結婚していなかった妻を同伴したところ、アメリカの清教徒婦人の間からそのことで、講演開催に反対する運動がはじめられたのであった。

これらの活動でゴーリキイの肺病が悪化した。この旅行の帰途ゴーリキイは政治的移民として、イタリーのカプリ島に行き、一九一三年ロマノフ王家三百年記念大赦令が出るまで八年間カプリに止ることになった。

イタリーでゴーリキイはレーニンによって高く評価された小説「母」を書き、「オクロフ町」を書き、いくつかの傑れた短篇小説でレーニンの新聞『星』を飾った。ルナチャルスキーと労働者学校を経営したのはこのカプリ島時代である。そのことの当否についてレーニンは度々信頼に充ち、而も正確な判断にゴーリキイを立ち戻らせるための手紙を送っている。

世界を震撼させた「十月」がやがて来た。

ゴーリキイは、当時自分の主宰していた『新生活』紙上で、この新しい人類の世紀の正しい理解をひろめるために、又、レーニンに対する逆宣伝を破るために精力的な活動を惜まなかった。彼は人民委員会の顧問となり「学者の生活改善委員会」の長となり「世界文学叢書」