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さかやのよにげ

酒屋の夜逃げ

山本 周五郎

「講談倶楽部 第十巻第一号別冊」大日本雄辯會講談社、1958(昭和33)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,874 字 · 4 页

青空文庫

こっちが寄らず触らずにいても、先方から寄って来、触って来るわけで、二人や三人ならまだいいけれども、ときには夜の十一時すぎてから、七八人で押しかけて来るのである。

「君のところの水はうまいから一杯飲みに来たんだ、水でいいんですよ」

と吃りながら言うのはその一団の侍大将であるが、誰かということはここに書くまでもないでしょう。むろん、他のときには私もその一団の末尾につながって、誰かのところへ押しかけるわけであるが。

こういう状態が殆んど連続していたから、なにより溜るのは酒屋の勘定であった。いま考えても、酒屋の勘定以外には苦労したことがないような気さえするくらいで、大晦日になってもとうてい払いきれるものではない。まだうまい言訳もできない口でへどもど陳謝すると、三河屋のおやじも一瞬はまずい顔をみせる。商法の駈け引きではなく、実際におやじのほうでもまずい事情だったのだろう。しかしすぐにこやかになって、正月は酒をどのくらい届けたらいいか、と訊くのである。

前述のとおりの黄金時代だから、酒は幾らあっても足りることはない。五升でも一斗でも欲しいところだが、勘定を払いきれない立場だから、では二升ばかりなどと言う。