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やこ
野狐
田中 英光
「知識人」1949(昭和24)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,615 字 · 39 页
けれども、今は、店の同僚の女たちの衣裳がみんな数十万円のものを身につけてると羨ましがり、自分にも、そうした装身具を買ってくれとねだるのだ。私は死にたいほど悲しい気持で、彼女を抱いて眠っていたのに。
その翌日、私は彼女とともに、近くの先輩作家のもとにいった。先輩といっても、五十を過ぎ、平和な落着いた家庭を持っているひとなのだ。そのひとを仮にYさんと呼んでおこう。Yさんは、久し振りの私を歓迎して下さって、お酒の御馳走をしてくれた。
Yさんの小さい子供たちの無心に遊んでいるさまをみるのが、私には、自分の子供たちが思い出されて、身を切られるように辛い。それで殊更、元気をだし、その子供さんたちに校歌を教え、優しい奥様に、よく知りもしない禅の講釈などをしていた。私は彼女と別れて放浪中、偶然、古本屋で買った、「無門関」を愛誦していた。その中でも、「百丈野狐」という公案が好きだった。それには、あのボードレールの、(あきらめよ、わが心、けだもの、眠りを眠れ)といった嘆声に共通したものがあるように思われた。いま、ここにその公案の全文を写してみよう。
百丈和尚、凡ソ参ズルツイデ一老人アリ、常ニ衆ニシタガッテ法ヲキク。