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のぎくのはか
野菊の墓
伊藤 左千夫
「ホトトギス」1906(明治39)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,539 字 · 67 页
無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。物も言い得ないで、しょんぼりと悄れていた不憫な民さんの俤、どうして忘れることが出来よう。民さんを思うために神の怒りに触れて即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。年をとっての後の考えから言えば、あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、当時の若い同志の思慮には何らの工夫も無かったのである。八百屋お七は家を焼いたらば、再度思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧も出なかった。それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖じ兄弟に憚り、他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。
僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればどうにか紛れるので、日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。