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かなづち

鉄鎚

夢野 久作

「新青年」1929(昭和4)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 31,659 字 · 62 页

青空文庫

おれは知らん顔をしといてやるから……」

彼女は湯冷めで真白になった全身を、ブルブルと慄わせつつ、唇を血の出る程噛みしめた。……と思うとやがて、湯気に濡れた長い睫毛を、ソッと蛇紋石の床の上に落した。

私は、勢いよく大理石槽の湯の中へ飛び込んだ。ザブリザブリと身体を洗いつつ、坐ったまま彫像のように固くなっている彼女を眺めた。たまらない可笑しさを笑いつづけた。

「アハハハハハ。アハハハハハ。ここへお這入りよ。風邪を引くよ。……今のは嘘だったら、アハハハハハハハ」

それから三日目の寒い晩であったと思う。

温泉行以来、音も沙汰もしなかった伊奈子が、何と思ったかお化粧も何もしない平生着のまま、上等の葉巻きを一箱お土産に持って日暮れ方にヒョッコリと遣って来た。そうして近所のカフェーから、不味い紅茶だの菓子だのを取り寄せながら、私の枕元で夜遅くまで芝居や活動の話をしいしい、何の他愛もなくキャッキャと燥いで帰って行ったので、私は妙に興奮してしまって夜明け近くまで睡れなかった。そうしてヤットの思いでウトウトしかけたと思う間もなく、長距離らしい烈しい電話のベルに呼び立てられたので、私は寝床に敷いていた毛布を俥屋のように身体に纏いながら、半分夢心地で階段を馳け降りると電話口に突立った。