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ぎんさんじゅうまい
銀三十枚
国枝 史郎
「新青年」1926(大正15)年3月~5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,863 字 · 73 页
それからしばらく世間話をして、私は博士の邸を辞した。
私には一つの疑問があった。
「すくなくも彼女はユダだけは、本物の白金だということを、心得ていて売ったのかしら? それとも偶然その貨幣を……」
「そんな事はどうでもいい」と私はすぐに打ち消した。
「一切過ぎ去ったことではないか。どうあろうと関係はない」
下宿生活が不便になった。
「郊外へ小さな家でも借り、自炊生活でもやることにしよう」
私は借家を探し出した。
児玉町の方へ行って見て、旧居の前へ差しかかった。もう人が入っていた。これは当然なことであった。私には何となく懐しかった。しばらく佇んで見廻した。
「おや」と私は思わず云った。
表札に私の名が書かれてあった。私の文字で一條弘と。
「おかしいなあ、どうしたんだろう?」
格子の内側に障子があり、障子には硝子が嵌め込んであった。ちょっと不作法とは思ったが、家の中を覗いて見た。
「おや」と私はまた云った。
見覚えのある長火鉢の横に、見覚えのある一人の女が、寂しそうにちんまりとかしこまり、縫物をしているではないか。人の気勢を感じたのであろう、女はフッと顔を上げた。