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ぎんざアルプス
銀座アルプス
寺田 寅彦
「中央公論」1933(昭和8)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,830 字 · 26 页
されなかったために記憶から消えてしまうのではないかと思われる。
晩年になって母にたびたび聞かされたところによると、当時の自分はひどく鉄道馬車に乗るのが好きで、時々書生や出入りのだれかれに連れられてはわざわざ乗りに行ったものだそうである。雨の降る日に二条の鉄路の中央のひどいぬかるみの流れを蹴たててペンキ塗りの箱車を引いて行く二頭のやせ馬のあわれな姿や、それが時々爆発的に糞をする様子などを思い出すことはできる。鉄路が悪かったのか車台の安定が悪かったのか、車は前後におじぎをするように揺れながら進行する。車掌が豆腐屋のような角笛を吹いていたように思うが、それはガタ馬車の記憶が混同しているのかもしれない。実際はベルであったかもしれない。しかし角笛であったような気がするというわけはこの馬車の記憶に結びついて離れることのできない妙な連想があるからである。それは、そのころどこかからもらった高価な舶来ビスケットの箱が錠前付きのがんじょうなブリキ製であったが、その上面と四方の面とに実に美しい油絵が描かれていた。その絵の一つが英国の田舎の風景で、その中に乗客を満載した一台の郵便馬車が進行している。