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かぎ

鍵

谷崎 潤一郎

「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页

青空文庫

盗汗を掻くことも始終である。この前の経験に徴して今度も大したことはあるまいと思っているものの、タカを括って安心しているというわけでもない。ただ幸いにも私は胃が丈夫なのが取柄であると、この前の時に医者に云われた。こういう病気は痩せて来るのが普通であるが、奥さんは食慾が衰えないのが不思議ですねと、よくそう云われた。でもこの前の時と違うのは、おりおり胸が気味悪く疼くことと、午後になると毎日のように疲労感が襲って来ることである。(その疲労感に抵抗しようとして私は一層木村さんに接触する。午後の倦怠を忘れるためにはぜひとも木村さんが必要である)前にはこんなに胸が疼いたことはなかった。またこんなに疲れることもなかった。事によったら今度は次第に悪化して救いがたいことになるのかも知れない。どうもこの胸の痛むのはただごとでないという気もする。それに、不養生の程度もこの前どころの段ではない。この病気には過度の飲酒が最も有害であると聞いているのに、正月以来飲み続けて来たブランデーの量を考えると、これで病勢が昂進しなければ奇蹟であるというほかはない。今から思うと、この間中あんなに酒に酔いしれて前後不覚に陥ったのは、いずれは長くない命であるというやけ半分の心持が、潜在的に手伝っていたのかも知れない。