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かぎ
鍵
谷崎 潤一郎
「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页
私は何がなしにハッとした。昨日、敏子があの花を持って来て、「マダムが庭に咲いていたのを切って来て下すったのよ」と云った時、今そんなことを聞かせないでもよいのにと、―――敏子はどんなつもりで云ったのか知れないが、―――私は思ったのであった。あの時多分病人はあの言葉を聴き取ったであろう。―――聴き取らなかったとしても、あの花を見ればあの木が植わっている関田町の庭を思い出したであろう。そしてあの家の離れ座敷を思い出し、あそこで起った過去の夜の出来事の数々を思い出したであろう。―――そう思うのは思い過しかも知れないが、私は病人の眼を見ると、何かそのことと関聯のある妄想が、あの空虚な瞳の奥に浮かんでいるのではあるまいか、という気がした。私は慌ててスタンドの明りをその花から外らした。………
………午前七時ライラックの花瓶を病室から運び出し、ガラスの花器に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)した薔薇に置き換える。………
………午後一時児玉さん来診。体温六度八分に低下。血壓は再び上る傾向を示す、最高一八五、最低一四〇。そのためネオヒポトニン注射。