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かぎ

鍵

谷崎 潤一郎

「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页

青空文庫

お宅の御主人は学者の方に似合わず、摂生に関しては無頓着なところがあり、ややともすると医師の忠告をお用いにならない風があったので、再発の恐れが全くないとは云えなかったけれども、こんなに早くそれが来るとは思わなかった。まだ六十歳には達しておられないことであるし、ここでいったん、徐々ながらも健康を回復され、今後数年、巧く行ければ十数年は活動をおつづけになるであろうと考えていたのに、かような結果になったのは意外である。―――と、博士も児玉さんもそう云ってくれた。博士や児玉さんがほんとうにそう思っておられたかどうかは、もちろん推測の限りではない、人の命数はいかなる名医にも豫断できないものであるから、二人がそう思っておられたとしても不思議はないが、正直に云って、私は大体豫期していたことが豫期した時に起ったと思い、あまり意外な感は抱かなかったのであった。豫期したことが豫期した通りに起らないこともあり得るし、むしろその方が普通であるが、私と夫の場合には、私の豫測が適確に当ったのである。そのことは娘の敏子にしても、同様に感じているだろうと思う。

そこで、もう一遍夫の日記と私の日記とを読み返し、照らし合わしながら、夫と私とがこういう風な発展の後にこういう風な永別を遂げるに至った事の次第を、今こそあけすけに跡づけてみたいので