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ゆきとどろ
雪と泥
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋、1954(昭和29)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,993 字 · 40 页
「本当に好きになると、その人の顔が思いだせなくなるというね」折之助が云った、「私も夜なかなどに思いだそうとするけれども、どうしても顔が思いうかんでこないんだ」
「お願いですからそんなふうに仰しゃらないで」
「だって本当に思いだせないんだよ」
「お願いですから」おしのは哀願するように云った、「そんなふうに仰しゃられると、あたし苦しくって、どうしていいかわからなくなりますわ」
「苦しむことなんかありゃしない、やがて二人はいっしょになるんじゃないか」
「いいえだめ、そんなことできやしませんわ」
「いやできるよ」折之助はきまじめに云った、「町家から嫁を迎えることぐらい、武家にだって幾らも例があるんだ、少しは面倒な手続きや条件はあるかもしれないが、私は必ず父を説きふせてみせるよ」
「それなら証拠をみせて下すって」
「みせられるならもちろんみせるよ」
おしのはじっと折之助をみつめ、それから卒然と立って、折之助の側へ来て坐った。
「こうさせて頂いていいわね」彼女はそう云いながら、折之助の持っている盃を取った。
「あなたのお盃で頂かせて、ね、いいでしょ」
「いいけれども、大丈夫かな、あんまり酔って、いつかのように気持が悪くなると困るよ」