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でんしゃとふろ
電車と風呂
寺田 寅彦
「新小説」1920(大正9)年5月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,851 字 · 10 页
専門家でさえそうである。自分の経験でも風呂から出たすぐ後で唱歌をやると、自分の声かと思うように楽に大きな声が出る。そして平生は出ないfの音が骨を折らずに自由に出る。
電車の走る音の中にも種々な楽音が含まれている事は少し注意して見れば分る。モーターの早い規律正しい廻転から起る音の中にはかなり純粋な楽音がいくつかある。しかし電車の中で歌いたくなる人はあまりなさそうである。たとえ取締規則がこれを許しても、また二、三の変り者が実例を示して鼓吹したにしてもあまり流行はしそうもない、してもあの緊張した空気の中で好い声が楽に出ようとは思われない。
電車のゴウゴウと鳴る音のエネルギーの源をだんだんに捜して行くと思い掛けない甲州の淋しい山中の谷川に到着する。気持のいい谷川の瀬の音と電車の音とは実は従兄弟である。それから電車のポールの尖端から出る気味の悪い火花も、日本アルプスを照らす崇厳な稲妻の曾孫くらいのものに過ぎない。しかし同じ源から出たエネルギーはせち辛い東京市民に駆使される時に苦しい唸き声を出し、いらだたしい火花を出しながら駆使者の頭上に黒い呪を投げている。