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しょくよく

食慾

豊島 与志雄

「中央公論」1935(昭和10)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,672 字 · 20 页

青空文庫

私は病身なせいもあるかも知れませんが、そればかりでなく、野口はあの頑健な身体にも似ず、至って性的欲求に淡白なのを、私はよく知っております。それなのに、ごく稀にせよ、賤しい女に接するとは、どうしても私の腑に落ちませんでした。然しそれも、はっきりそうだと断定は出来ませんし、ただ一種の勘で感じるだけのことでした。それとなく探りをいれてみますと、野口は一言で否定してしまうか、または、たまには家庭外の飯を食うのも男にはよかろうなどと、冗談にしてしまいます。真実のことは掴めませんでしたが、それでも、そうした場合、何だか一種異様な匂いが私の胸にくるのでした。へんに快活で朗かで、そして私にはいつもよりやさしく、身内が軽々と澄んでるのに、身体の表皮だけが汚れてる……云わば、変な例えですが、廁から出て来た時のような、そんなものを私は感ずるのでした。彼がいくら酒に酔って、夜遅く帰って来ても、私は平気でしたが、一種異様な匂いを感ずる時は、とても嫌で、なさけなくて、姿を消してしまいたいという気がすることさえありました。それは、人生の美しい夢を踏みにじるもののように思われました。