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こうでん

香奠

豊島 与志雄

「時流」1925(大正14)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,989 字 · 46 页

青空文庫

私と妻とは微笑の眼を見合したものです。

所が、だいぶたってから、彼は座敷から出て来て、すぐ帰ると云って慌しく辞し去りました。その時彼が眼に一杯涙をためてたようだと、妻は後で私に云いました。私はそれに気付きませんでしたけれど、取り急いで帰ってゆく彼の姿は何だか普通でなかったようです。

彼が帰っていってから、私は変にぼんやりしてしまいました。いくら考えても彼の正体が掴めませんでした。そして彼の伯父への返事もその晩は書かずにしまいました。

母上

その翌々日のことです。彼の下宿から私の家へ、彼が病気危篤だと知らしてきましたのは。私が不在だったものですから、妻が急いで馳けつけてゆくと、彼は脚気衝心でもうどうにもならない状態に陥っていました。

彼がちょいちょい意識の明瞭な折に、断片的に云った言葉をよせ集めて、想像してみますと、彼は九月頃から時々足部の麻痺を感じていたらしいんです。でも脚気だということは誰にも云わず医者にも診せないで、例の徒歩主義を押し通したのです。それから、前々日私の家に来て座敷で羽子をついてるうちに、変に淋しくなって、帰りにカフェーで強い洋酒をしたたか飲んで、その途中一寸倒れかかったそうです。