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えきふにっき
駅夫日記
白柳 秀湖
「新小説」1907(明治40)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,989 字 · 69 页
ちょうど三月の末、麦酒会社の岡につづいた桜の莟が綻びそめたころ、私は白金の塾で大槻医師が転居するという噂を耳にした。塾というのは片山という基督教信者が開いているのでもとは学校の教師をしていたのが、文部省の忌憚に触れて、それからはもう職を求めようともせず、白金今里町の森の中に小さい塾を開いて近処の貧乏人の子供を集めては気焔を吐いている。駅長とは年ごろ懇意にしているので私は駅長の世話で去年の秋の暮あたりから休暇の日の午後をこの片山の塾に通うこととした。
片山泉吉というて年齢は五十ばかり、思想は古いけれども、明治十八年ごろに洗礼を受けて、国粋保存主義とは随分はげしい衝突をして来たので、貧乏の中に老いたけれども、気骨はなかなか青年を凌ぐ勢いである。
私はこの老夫子の感化で多少読書力も出来る。労働を卑しみ、無学を羞じて、世をはかなみ、身をかねるというような女々しい態度から小さいながら、弱いながらも胸の焔を吐いて、冷たい社会を燬きつくしてやろうというような男々しい考えも湧いて来た。
大槻が転居するという噂は、私にとって全然、他事のようには思われなかった、私はそれとなく駅長の細君に、聞いて見たが噂は全く事実であった。