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まぞう

魔像

林 不忘

新版大岡政談

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 131,494 字 · 260 页

青空文庫

遠い縁のはずれで、にわかに雨戸を繰り出す大勢の声が、立ち騒いで聞えていた。

と、この時、雨の吹きこむ縁側を用人の一人がいそいで来て、障子をあけるなり、

「殿様」

「何じゃ」

「下谷長者町筆屋の伜幸吉と申す者が、急なお眼通りを願って参上いたしました」

「なに、筆屋のせがれ幸吉が参った?」

山城守と長庵は、ちらと眼を合わせた。長庵が出しゃ張って、口をきいた。

「おや、幸吉さんが――ハテ、何か急用でも出来いたしたのでござりましょうか」

「まあ、会おう。これへ」

山城守が用人に命じた。

間もなく、下谷からこのやきもち坂までひた走りに駈けて来る途中、屋敷の近くへ来てからこの雨にやられたとみえて、全身濡れ鼠になって惨めな幸吉のすがたが、おずおずしながら通されて来た。

が、おずおずして見えたのは、濡れた着物と、大所の武家やしきに慣れない幸吉の態度だけで、幸吉の心もちは、ちっともおずおずしてはいなかった。おずおずするだけの余裕さえかれのこころにはなかった。何故なら、幸吉は、その部屋へ通されて、そこに山城守と一緒に思いがけなく村井長庵がいるのを見るや、長庵とはおやじの幸兵衛が交際っていて幸吉も識っているので、山城守に挨拶することも忘れて、いきなり、長庵に獅噛みつくようにして言ったのだった。