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なるとひちょう
鳴門秘帖
吉川 英治
03 木曾の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,957 字 · 114 页
赤い前垂をかけた宿引の女が、ぶかっこうな杉下駄をはいて猫じゃらしの帯をふりながら、向う側とこっち側で、互いに腕にヨリをかけるのはその時分で、
「かしわ屋でございます、かしわ屋はこちらでございます」
「桔梗屋は手前どもで、昨年もごひいきになりました」
「ハイ、越後屋でございます」
「お馴染の鍵屋はこちらでございます」
喋々とさえずるばかりでなく、信濃そだちの強力で、笹をひッたくる、振分を預かってしまう、合羽の袖にほころびをこしらえる。文句をいえば、晩にわたしが縫ってあげます――と上手に見る。またそういうのに宿引女の極伝があるそうで、わざとほころびをきらす女ばかり抱えておく別宿もあったりする。
なにしろ、大湯の横にひッついている湯番小屋で、五刻の拍子木を打ち、導引の笛がヒューと澄む頃までは、このかしましさがやまないのである。
「ホイ」
「ここだな」
「会田屋さん、お客様だぜ」
下ノ湯の角にある大きな宿の店先へ、二挺の駕がおろされた。
「ご苦労様」
「駕屋さん、こちらへ掛けて一服お吸い」
「ようお着きなさいました」
「お洗足水を」
「いえ、お荷物はこちらへ」
女中や番頭に取り巻かれて、すすぎ盥の前へ腰かけたのは、商家の内儀らしい年増の女と、地味な縞ものを着た手代風の男であった。