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つるはやみき
鶴は病みき
岡本 かの子
「文学界」1936(昭和11)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,495 字 · 53 页
こちらのこと、何か立ち聞でもしてたんじゃありませんか。」と告げ口する。主人は、「そうかい。」と云ったきりだった。私は告げ口した婆さんにも麻川氏にも何だか嫌な気持ちがしたが「あのお客さんあんまり大声で話したててたからね」と云ったあと、いくらか麻川氏に気の毒な感じもした。
某日。――朝早く主人は社用で大阪に発って行った。麻川氏の部屋の前を通ると、氏は例の非常に叮嚀なお辞儀をした。そしてH屋の表門まで私と一緒に主人を送って出てまた叮嚀な送別の辞を述べた。いつも乍ら好感の持てる氏の都会児らしい行儀の好い態度、そして朝風に黒上布の単衣の裾が揺れる氏の長身を、怜悧に振りかざした鞭のように私はうしろから見た。画家K氏は二三日前一たん東京へ帰り、早朝まだ一人の来客も麻川氏の部屋には無い。氏は私に寄って行けと云う。氏の部屋の浅縁に腰かける。藤棚の藤が莢になって朝風にゆらめくのを少し寝不足の眼で私がうっとりと眺めて入って居ると麻川氏は私のずっと後の薄暗い床脇に蹲居の恰好で坐り込んだ。そして暫く黙って居た。私も黙っていた。真白い犬が私の眼の前を通った。犬は私の方を振り返り振り返り垣根の穴から出ていった。