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しかのいんしょう
鹿の印象
木暮 理太郎
「文藝春秋」1935(昭和10)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,489 字 · 8 页
野営地に着く早々、天幕を張れというのを聞き入れず、大鉈を揮って頃合いの木を伐り、四本の柱と四本の横木を用いて骨組を済すと、枝を籠目に編んで四方を囲い、白檜の皮を巧に剥ぎ取って屋根を葺き、羽目を当て、床を張り、ものの四十分と経たぬ中に一坪余りの小屋が出来上る。三人には勿体ない位の広さだ。そして私の為には、特に米栂の細い枝先を五寸余りも積み重ねて、其上に天幕を敷き、さあ旦那の座敷が出来たにと、懐手して感心している私を招じ入れる。寝る時は天幕の中にもぐり込む。青葉のいきれでふっくらと暖い、いい気持だ。夜中にふと目が醒める、二十日余りの月がぼうと明るく谷間を照して、例のピューンピューンと鳴く鹿の声が小屋をめぐって遠く又近く、終夜聞えているらしい。私はうつらうつらと其声に聞き入りながら、いつかまた快い眠りに落ちて、夜の明けたのも知らないのであった。
其後二十五年の歳月が流れた。大井川の谷は聖沢あたりまで、見る影もなく伐採し尽されたという。あの鹿の群は一体どうなったろうか。私は霧に苦しめられた三日間を回想する毎に、今もその事が気になって仕方がない。(昭和一〇、八『文藝春秋』