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そのとし
その年
宮本 百合子
線上閱讀宮本 百合子《その年(そのとし)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 13,964 字 · 28 頁
「お前はまだ何ぞあるの?」
「俺は三十分ほどして行く」
道順をこまかく教わって、お茂登は黒い洋傘と風呂敷包みをもち、部隊名を大きく書いた板の下っている小学校の校門を出た。臨時の衛兵所もそこに出来ている。
麦畑を越した彼方には、遙かに市外の山並みの見える附近一帯は、開けて間もない住宅地であった。洋装に下駄を突かけた女の姿が台所口にちらちらしているような同じ構えの家がつづいた。その間の歩きにくい厚い砂利道を、兵隊が何人も動いている。戸毎に宿舎割当の氏名が貼り出されているところを、やっと探し当てて、お茂登は、前の小溝に杜若が濃い紫に咲いている一軒の格子をあけた。
数日来のはげしい人出入りで、村瀬という表札のかかったその家も、奥まで開けはなしにしているような落付かなさに見えた。手伝いらしい女が膝をついて、お茂登の丁寧な挨拶に、あっさり、
「どうぞお二階へお通り下さい」
と云った。
「階段はそちらですから」
遠慮がちにお茂登がのぼって行って見ると、六畳一間の両側についている腰高窓をあけっぱなした風通しの中で、学生服の男がぶっ倒れたうつ伏せの姿で睡っており、丁の字形に入口の方へ脚をのばした若い女が、窮屈そうなお太鼓の背中を見せて、これもうつ伏せになって眠っている。