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そのきどをとおって
その木戸を通って
山本 周五郎
線上閱讀山本 周五郎《その木戸を通って(そのきどをとおって)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 22,448 字 · 44 頁
五
そして彼は娘のほうへ近よった。
「どうして私を知らないと云うんだ」と彼は娘に云った、「私が平松正四郎だということを忘れたのか」
娘はうなだれたまま答えなかった。
「本当に私を知らないのか――」
「わたくしは」と娘は低い声で云った、「――わたくしがいては、平松さまの御迷惑になると、うかがいましたので」
とぎれとぎれの、低く細い声であった。吉塚が話したのであろう、彼女がいては加島家との縁組に故障ができる、そう云って因果をふくめたに違いない。正四郎は顔を仰向けて深い呼吸をした。
「その話はあとのことだ」と彼は感情を抑えた口ぶりで云った、「いっしょに家へ帰ってくれ、私が頼む、帰っておくれ」
娘は答えなかった。
「旦那の仰しゃるようにしたらいいでしょう」と六三が娘に云った、「こんな雨でもあるし、うろうろしているととんでもねえことになりますぜ」
五
それから七日経って、正四郎は田原権右衛門の自宅へ呼びつけられた。田原家のある竹坂というのは町名で、実際には坂というほどの勾配はないのだが、そのゆるやかな坂道は赭土なので、ちょっと雨が降ってもひどいぬかるみになる。そのときもまえの雨ですっかりこね返されてい、田原家へ着くまでには汗まみれになっていたし、背中まで泥がはねていた。