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デカルトてつがくについて

デカルト哲学について

西田 幾多郎

線上閱讀西田 幾多郎《デカルト哲学について(デカルトてつがくについて)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 19,032 字 · 38 頁

青空文庫

カントの対象認識の論理は、最初からかかる実在を否定した論理である。考える自己が、対象的に考えることのできないのはいうまでもない。然るにアリストテレスの論理は、無論自己を包むものではないが、その主語となって述語とならないというヒュポケイメノンは、カントの認識対象というよりも、広い意味を有つということができる。私が考えるという時、その私というのは、一応主語的意義を有つということができる。無論、私がここに広いというのは、未定的という意義に過ぎない。この故に私はかつてカント哲学を越えて、新なる論理の立場を求めた時、アリストテレスのヒュポケイメノンの立場へ返って考えて見た。今日人の考える如く、論理は我々の自己の主観的形式ではない。論理の立場とは、主客の対立を越えて、主客の対立、相互関係も、そこから考えられる立場でなければならない。我々の自己が自己を考えるのも、論理的形式によって考えているのである。我々はカント哲学の独断を否定して、新なる自覚の立場から出立しようとする時、その立場は何処までも論理的でなければならない。而してそこに論理の深い自己反省がなければならない。