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てつがくにゅうもん

哲学入門

三木 清

線上閱讀三木 清《哲学入門(てつがくにゅうもん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 110,592 字 · 219 頁

青空文庫

であった。自覚は超越によって可能になるのであり、それは単に自己が自己を意識するということでなく、却って自己が自己を超えるということである。自己が自己を超えることによって、自己が自己を意識するということも可能になる。自覚において現われるのは単なる我でなくむしろ汝であり、汝によって我も喚び起されるのである。「我々は反射によって、即ち我々自身への強要された還帰によって、目覚める。しかるに抵抗なくして還帰なく、客観なくして反省は考えられない」、とシェリングはいった。私はひとりでに反省的自覚的になるというよりも、客観の抵抗によって自己自身に還るのである。否、客観からでなく、却って他の主体即ち汝から、我は自己自身に還るのである。汝の命令によって我は喚び起されるのである。そこに道徳的行為の客観性がある。我が良心的であればあるほど、汝の我に対する呼び掛けはいよいよ迫ってくる。もとより単に外から強制されるのであっては道徳ではない。外から喚び起されることが内から喚び起されることであり、内から喚び起されることが外から喚び起されることであるところに、道徳がある。カントは、良心を主観的強制と見、これに対して実践理性の法則に基く義務を客観的強制と見たが、道徳を単に良心の問題と考えては単なる主観主義に陥ることになり、そこには何か、義務