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やまごしのあみだぞうのがいん
山越しの阿弥陀像の画因
折口 信夫
線上閱讀折口 信夫《山越しの阿弥陀像の画因(やまごしのあみだぞうのがいん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 15,125 字 · 30 頁
大串純夫さんに、来迎芸術論(国華)と言う極めて甘美な暗示に富んだ論文があって、この稿の中途に、当麻寺の松村実照師に示されて、はじめて知ったのだが、反省の機会が与えられて、感謝している。此には、山越し像と、来迎図との関聯、来迎図と御迎講又は来迎講と称すべきものとの脈絡を説いて、中世の貴族庶民に渉る宗教情熱の豊けさが書かれている。唯一点、私が之に加えるなら、大串さんのひきおろした画因――宗教演劇にも近い迎え講の儀式の、芸術化と言う所から、更にずっと、卸して考えることである。
山越し像において、新しいほど、御迎講の姿が、画因に認められるのに、古いほど却て来迎図の要素たる聖衆が少くなって、唯の三尊仏と言うより、其すら脇士なるが故に伴うているだけで、眼目は中尊にあると言う傾向がはっきり見えるのは、其が唯阿弥陀三尊に止るなら、問題はない。阿弥陀像には、自ら約束として、両脇士の随うものなのだから。ところが、之に附随して山の端の外輪が胸のあたりまで掩うていることになると、そう簡単には片づかぬ。常に来迎が山上から、たなびく紫雲に乗って行われ易いと考えたにしても、画面は必しも、其ばかりではない。