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あいとにんしきとのしゅっぱつ
愛と認識との出発
倉田 百三
線上閱讀倉田 百三《愛と認識との出発(あいとにんしきとのしゅっぱつ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 64,420 字 · 129 頁
蚯蚓の声も幽かに聞こえていた。螢籠を檐に吊して丸山さんと私とは縁端に並んで坐った。この夜ほど二人がしんみりと語ったことはなかった。淑やかに団扇を使いながら、どうかすると心持ち髷を傾けて寂しくほほ笑む。と螢が一匹隣りの庭から飛んで来た。丸山さんは庭に下りて団扇を揮うて螢を打った。浴衣の袖がさっと翻る。八手の青葉がちらちら揺らぐ。螢は危く泉水の面に落ちようとしてやがて垣を掠めてついと飛んで行った。素足に庭下駄を穿いて飛石の上に立った丈の高い女の姿が妙にその夜の私の心に沁みた。寡婦にして子供無き丸山さんは三之助さん、三之助さんと言って私を弟のごとく愛してくれたのだが、今では岐阜で女学校の先生を勤めてるそうだ。
私は休暇の初め、岡山で私の趣味に照らして最も美しいと思う花簪を妹に土産に買って帰ってやったら、あの質素な女学校ではこんな派手なものは插されませぬと言っていたがそれでも嬉しそうな顔はした。君も重子さんに本でも慰めに送ってやりたまえ。妹というものは可愛いもんだからね。明後日出発する。しっかり勉強したまえ。
O市の春はようやく深し。今日の日曜を野径に逍遙して春を探り歩きたり。